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 サンクス ギビング デーのパーティー。
2009年11月29日(日) 03:05
 ラウラ・レピスト スケートカナダ2009 フリー演技 (解説:解説なし)
2009年11月29日(日) 03:04
ラウラ・レピスト スケートカナダ2009 フリー

2009年ISUグランプリシリーズ第6戦、カナダのオンタリオ州キッチナー(Kitchener, Ontario)で開催されたスケートカナダ2009(2009 HomeSense Skate Canada International)、カナダ代表-ラウラ・レピスト(Laura LEPISTO)のフリースケーティング演技の動画です。


Date:2009年11月21日
曲名:アストル・ピアソラ 「アディオス・ノニーノ(さらばノニーノ)」 (Adios Nonino by Astor Piazzolla)
技術点:48.62
構成点:54.16
合計:102.78

iconAdios Nonino icon
Astor Piazzolla
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 ☆☆☆かわいい〜っ!ケイキフラ動画☆☆☆
2009年11月28日(土) 14:44
前回のワヒネに続きまして、思わず「かわいいーっ(≧∇≦)ノ 」と叫んでしまいそうなケイキフラ動画をどうぞ!

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 織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜 (2009/11/22)
2009年11月28日(土) 14:43
織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜

バンクーバーオリンピックでメダルを目指す織田信成のドキュメンタリー動画です。


織田信成(22歳)フィギュアスケート〜信長の末裔がバンクーバーで天下統一へ〜

バンクーバーでメダルの期待が高まる織田信長の末裔、織田信成。

かつてスケート選手だった母に引っ張られて進んできたフィギュアスケートの道。

家では優しいお母さん。しかし、リンクの上では厳しいコーチ。あまりの厳しさに、スケートが大嫌いになって逃げ出したことが幾度もあった。それが、あることをきっかけに2人の関係が変わっていく・・・。

「母に与えられたフィギュアスケート」から、「自らが進んで取り組むフィギュアスケート」へ。2人で話し合って復活のために挑むと決めたのは、『4回転ジャンプ』。互いを信頼し合い二人三脚で大舞台に向かっていく、母と息子の固く結ばれた絆に迫る。

(BS TBS 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜より)
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 織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜 (2009/11/22)
2009年11月28日(土) 03:26
織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜

バンクーバーオリンピックでメダルを目指す織田信成のドキュメンタリー動画です。


織田信成(22歳)フィギュアスケート〜信長の末裔がバンクーバーで天下統一へ〜

バンクーバーでメダルの期待が高まる織田信長の末裔、織田信成。

かつてスケート選手だった母に引っ張られて進んできたフィギュアスケートの道。

家では優しいお母さん。しかし、リンクの上では厳しいコーチ。あまりの厳しさに、スケートが大嫌いになって逃げ出したことが幾度もあった。それが、あることをきっかけに2人の関係が変わっていく・・・。

「母に与えられたフィギュアスケート」から、「自らが進んで取り組むフィギュアスケート」へ。2人で話し合って復活のために挑むと決めたのは、『4回転ジャンプ』。互いを信頼し合い二人三脚で大舞台に向かっていく、母と息子の固く結ばれた絆に迫る。

(BS TBS 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜より)
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 【サルサ人インタビュー】HIROKOさん
2009年11月27日(金) 14:58

今回のサルサ人インタビューは、ダンススタジオ エスパイアを中心にインストラクターとしてご活躍されているHIROKOさんです!

【amigoken】
---HIROKOさんがサルサに出会ったキッカケを教えてもらえますか?


キッカケは、'00年か'01年の頃、友達にサルサバー(スダーダ)連れていかれたことですね。
でも最初はぜんぜん踊れなかったんです。

私は昔から日本舞踊やジャズダンス、バレエなど一人で踊るジャンルのダンスはけっこうやっていたので、踊りに関してはちょっと自信があったんですよ。
他のダンスのジャンル・・・例えばバレエをやってる人とかって、見た目とか雰囲気でだいたい「あ、この人は上手そうだな」とかわかるんですけど、サルサって普通の女性がすごく上手にクルクル回っていて、それなのに自分はまったく踊れなくて・・・「なんでー?」って(笑)。なんかすごい悔しかったですね。
でも、その時はまだサルサにはハマらなかったんですけどね。

それとは別で、またある時に、ジャズダンス時代からの友達でサルサインストラクターの小森礼子さんにキューバンサルサのイベントに誘われて見にいったんです。そしたらそこもなんだか別世界で、当然ですけどキューバ人の方がいっぱいいて(笑)私は英語しゃべれないから外国人さんは苦手で、「あぁ、私には入れない世界だ〜」って、その時は思っていました。

それからしばらく経って、ある日お昼間にフィットネスジムにいってて、そこでサルサの無料スタジオレッスンがあったんです。「あ、サルサだ!」と思って受けてみて、ちゃんとステップを習ったら「あ、これは楽しい!」って。

でも、ジムだとインストラクター一人に対して女性の生徒さんが20人とかで、ペアで踊れる機会がちょっとしかない。それで、「もうちょっとちゃんと習いたいなー」と思って礼子さんに「どこに習いにいったらいいの?」って聞いたら、アルベルト・ロマイっていうキューバ人の先生を紹介されて・・・っていうのがサルサをはじめたきっかけですね。


---それまではペアダンスの経験は?

スダーダで初めてサルサに触れて、ジムで習ってみるまでの間に、半年ほど社交ダンスをやったことがあります。
社交ダンスも楽しかったんですけど、決まりごとがしっかりしてるじゃないですか。それが全然わからなくて、悶々としてた時にサルサに出会って、「こっちの方が楽しい!」って思いました。
やっぱりラテンって発散できる感じでいいですよね!


---最初にパフォーマンスをした時のことを教えてもらえますか。

それが、実は2001年のジャパン・サルサ・コングレスで、しかもアルベルト先生とペアで出場したのが最初なんです。


---いきなり大舞台でのデビューだったんですね!

そう。アルベルト先生のレッスンに通いはじめて3ヶ月目だったんですね。
私は最初、チームの方に誘ってもらえたんだと思って、「ラッキー♪チームに入れるんだ!」ってスタジオにいったら、アルベルト先生の他に誰もいなくて(笑)

「さぁ、これをペアで踊るぞ」ってビデオを見せられて、「とてもムリだわ!」って思ったんですけど。私は負けん気が強い性格なので、一回「やる」って言ってから断るのはイヤだったんですね。

その誘われた日から本番までは1週間しかなくて、練習回数は5回だけ、しかもアルベルト先生のラテン人気質だと平気でスタジオで1時間とか待たされるし、当時はケガもしていたし・・・まぁ色々大変だったんですけど、今となっては良い経験をさせてもらいました。


---すごい度胸とガッツですよね。

無謀でしたね(笑)。でも、そのコングレスでのパフォーマンスはミスも多くて、あまりにも自分の下手さにヘコんでやめようかと思ったんですよ。サルサは1回の記念でいいやーと。
でもやっぱり負けん気が強い性格なので、どうせやめるんだったら、もっと上手くなってからやめようと思って。で、アルベルト先生にお願いしてチームの方に入れてもらったんですね。チームでは2003年まで約2年活動しました。


---それからインストラクターになったキッカケは?

2002年にアルベルト先生のアシスタントになったんです。スダーダとかエルカフェ・ラティーノでアシスタントをやらせてもらっていて、その1年後にインストラクターをはじめたんです。

これも今だから笑えるんですけど、アシスタントになったきっかけっていうのもヒドイんです。アルベルト先生に「HIROKOアシスタントやるか?」って誘われたんですね。私はてっきりアルベルト先生がメインでいてくれて、横についてるのがアシスタントだと思って「はい」って答えたら、アルベルトは「じゃあ今からスダーダにいってきて。俺は他でレッスンがあるから」って言うんです(笑)それも当日の10分前とかのムチャ振りで!私はそれまで男役の踊りも知らなかったので、そこから必死になって覚えて・・・今に至ってます。

そんなこんなで、2003年から私の家族で経営している銀座のダンススタジオ「エスパイア」でサルサインストラクターとしての活動をスタートしました。
最初は私は初心者クラス担当で、中上級者レベルにはアルベルト先生に指導してもらっていたのですが、アルベルト先生のキューバ帰国に伴い、私が全レベルを見るようになりました。


---パフォーマンスチームを作ったのは?

2004年からです。"Muchacha"と"にこにこさるさーず"の2チームですね。

"Muchacha"は身長160cm以上、女性オンリーのチームなのですが、結成のキッカケは、レッスンクラスの生徒さんだった女の子2人が、会社のイベントでサルサを披露することになって、そのための振り付けを頼まれたんです。その2人がたまたま身長の高い2人だったんですね。それで、スタジオにいる身長の高いメンバーを何人か集めてやろうって。その時にいた4人が第1期メンバーですね。
その後SHOWとして楽しんでもらえるプロ集団を作りたかったので、私がアルベルト先生のチームの時に一緒だったメンバーに声をかけて、第2期から今のプロメンバーになりました。

私がサルサ界に入った時に抱いた夢として、サルサ界じゃない人が見ても楽しめるSHOW UPされたパフォーマンスをやりたいと思ったんですね。
私はサルサ以外のダンスもたくさんやってきた経験から、自分で振り付けをするパフォーマンスにはサルサ以外の要素も入れてしまうので、サルサ関係の人からすると「あれはサルサじゃないんじゃない?」って思われるかもしれないんですけど、私はより多くの色んな人に楽しんでもらえるパフォーマンスをやるっていうポリシーにしてきています。

一方で"にこにこさるさーず"の方は、スタジオをオープンした時に、一から生徒さんを募集したので、サルサをはじめて3ヶ月の人とか初心者の人たちばっかりだったんですね。そういう人たちでも楽しく笑顔で踊れるチームっていうことで"にこにこさるさーず"ってネーミングにしたんです。


---これまでのサルサ活動の中で印象に残ってるイベントはなんですか?

色々ありますけど、"Muchacha Noche"(="ムチャチャ"の夜という意味)ですかねー。
今まで2006年〜2008年の間に3回やったんですけど、1回目はミツエさんとのコラボ、2回目と3回目はLos SalselosのGG'sとコラボさせてもらいました。

このイベントもキッカケがあって、"Muchacha"が初めてLAコングレスに行くことになったのですが、メンバーの一人がどうしても都合でLAにいけなくなってしまい、急遽助っ人を探すことになったんですね。その時にダメ元で私の大好きなミツエさんにお願いしたら、なんとOKしていただいて。しかもたった3回の練習で振り付けも覚えてくれたんです。そしたら、ミツエさんとコラボしている"Muchacha"をぜひ日本でもみたいっていう声が多くて、「じゃあ」ってことで第1回目の"Muchacha Noche"の開催になりました。

1回目と2回目は普通のサルサイベントっぽく、何曲かパフォーマンスがあってからフリーダンスっていう形で開催したのですが、3回目は「30分間のSHOW」として見ていただくというのをコンセプトにしました。30分のショーにしようとすると1曲が約4分〜としても、6曲以上の振り付けが必要で、準備も1年がかりっていう大きなイベントになったんですね。また、日本を代表する女性インスタラクターの方10名と一緒に"muchacha japan"として踊れたのがとても嬉しかったですし、すごく印象に残ってますね。


---今後の活動予定について教えてください。

直近だと12/5(土)には日比谷でパティオサルサっていう無料イベントがあります。
その次が12/19(土)のハマクリですね。

ハマクリには昨年に引続き"Muchakucha"で出演します。"にこにこさるさーず"からスピンオフしたクローズドクラスのチームで、むちゃくちゃサルサ大好きな人たちが、なんでもやってしまおう!っていうコンセプトのチームなんですけど。昨年は三味線の音でサルサを踊るって演出にしたのですが、今年は「ムチャクチャ劇団」っていうのがテーマで、サルサ・バレエ・シンクロナイズトスイミングと小芝居をミックスした演出にしています。男性の衣装は海水パンツで・・・あ、でもコントじゃないですよ(笑)女性の衣装もバレリーナっぽい感じにしていて、見た人が「こんなのもあるんだね、楽しかったね」って思ってもらえるようにしたいと思っています。


---面白そうですね!それにしても多くのチームを手がけて、毎月のようにイベントがあってって大変なのでは?

いや〜手いっぱいですね(笑)。
正直、チームパフォーマンスは練習がツライとか、イベントを打ち上げるまでに色んな問題があったりするし、ヘコんで「もうやめようかな」って思うこともたまにあるんですけどね。でも皆で取り組んでいる過程が好きですし、終わった後にみんなが「楽しかった〜」とか言ってくれると、「あー、またやっちゃおうかなー」って思うんですよね。もうその繰り返しですね。


---最後に皆さんへメッセージをどうぞ!

大げさな表現かもしれませんが、私サルサって「世界平和」だと思うんです。


---おぉっ!!

なぜかというと、サルサって相手がどうやったら踊りやすいかを考える「思いやりダンス」じゃないですか。人と人とが手をつないで踊っていれば、ケンカとかする気にならないと思うんですよ。それを広めていけば最終的には戦争とか殺し合いとかする気がなくなると思うんですよね。
それってつまり、サルサは大きく言うと世界平和なのかなって。

サルサの魅力は踊り以外の精神的なことがすごく影響するものだと思うんですね。小さい子からお年寄りまでサルサの楽しさを、今やってる人と一緒に広めていきたいっていうか、皆がそういうキッカケを友達に伝えてほしいですし。

私がサルサをはじめたキッカケも、自分がインストラクターをやりたいなんてことじゃなくて、ただ知らない人に「もったいないから伝えたい」って思ったことなので。
なので、私がやっているダンス・パフォーマンスを見てもらえれば、サルサに興味をもってもらえて、それが世界平和につながれば・・・って思っています。

---ありがとうございました!


【編集後記】
HIROKOさんはモデルような美しい容姿をもちながら、チャキチャキとした江戸っ子スタイルで楽しくお話をしてくれる素敵な方でした。
インタビュー中も冗談を言って笑ったり、とてもチャーミングなお人柄が人気の秘密なんでしょうね。
なによりもサルサを楽しく踊ることによって、多くの人に楽しんでもらいたいという意気込みがビシバシ伝わってきました。ハマクリでのパフォーマンスも楽しみですね。


>>> 12/19(土)ハマクリ@横浜YCCについて
>>> スタジオ エスパイアについて
>>> HIROKOさんのプロフィールはこちら

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 織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜 (2009/11/22)
2009年11月27日(金) 14:58
織田信成 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜

バンクーバーオリンピックでメダルを目指す織田信成のドキュメンタリー動画です。


織田信成(22歳)フィギュアスケート〜信長の末裔がバンクーバーで天下統一へ〜

バンクーバーでメダルの期待が高まる織田信長の末裔、織田信成。

かつてスケート選手だった母に引っ張られて進んできたフィギュアスケートの道。

家では優しいお母さん。しかし、リンクの上では厳しいコーチ。あまりの厳しさに、スケートが大嫌いになって逃げ出したことが幾度もあった。それが、あることをきっかけに2人の関係が変わっていく・・・。

「母に与えられたフィギュアスケート」から、「自らが進んで取り組むフィギュアスケート」へ。2人で話し合って復活のために挑むと決めたのは、『4回転ジャンプ』。互いを信頼し合い二人三脚で大舞台に向かっていく、母と息子の固く結ばれた絆に迫る。

(BS TBS 真冬の挑戦者〜バンクーバーへの道〜より)
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 LAで家飯。
2009年11月27日(金) 02:49

{%笑いwebry%}久しぶりに、私のお家で友達と「家飯」しました{%家webry%}


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 ★☆★Beautiful Kona After Sunset@Hawaii Island☆;+;。・゚・。(動画あり!)★☆★
2009年11月26日(木) 13:44
みなさん、こんにちは。
新たに購入したデジカメ”の綺麗な動画の【”You Tube”へのアップの仕方】がようやく分かって、ホッとしてるブロガーKAIです!
お元気ですか?
今日は、コナの美しい”アフター・サンセット”を動画でご覧くださいね!
ハワイ島 - livedoor Blog 共通テーマ2
P1030672













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2009年11月26日(木) 00:59
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せっかくご訪問くださったのに申し訳ありませんが、
来週火曜日まで、お休みさせて頂きます。

また来週からは、ハリウッドセレブの情報をお届けしたいと
思いますので、今後もよろしくお願いします。
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